祈りの力
先日、タイトルの映画を見ました。
本タイトルは『War Room』と”戦いの部屋”という名前だが、日本版では『祈りの力』という名前になっていたのには少しビックリしました。
というのは英語タイトルからは宗教的な要素を感じないのに、日本語からは全く受ける要素が違います。
「あ、なんか宗教的なやつかな」ってニュアンスを感じます。
少し、ここには日本と海外の違いというのが出ているのかなと感じました。
アメリカは、キリスト教国家なので、イエス様という存在が前提です。
しかし、日本は今では無宗教国家化してしまっているので、そのギャップを埋めるために日本語タイトルではストレートな表現をしているのかなって思いました。
内容としては日本語タイトルの方がしっくりくるようなものでした。
英語タイトルも『Pray Power』で良かったんじゃないんですかねw
宗教の力というのを大きな戦争や運動ではなく、最小コミュニティ単位である”家庭”の中で上手く表現している映画だなと感じました。
現在アメリカはこのような宗教に帰化しようというメッセージの映画が時々出ている印象を受けます。
時代によっては一人一人の宗教の在り方というのは変わってきているのかなっと察します。
昔は、それこそ生きるためには農作物の豊作を願う上で宗教という存在が大きかったのかもしれません。
そして、物の溢れる現在では農作物の豊作以上に家庭の仲に注目されているのかなと感じます。
それは、生きる上で何が大切なのかということを時代的な変化が表しているのかなと思います。
昔は今以上に家庭内の心の距離は近かったと思います。
しかし、現在はコミュニティの拡大に伴い、いつしか様々な家庭のあり方が存在してくるようになっています。
そして、結局再度家庭とはなんなのかということを問いている時代なのかなと思います。
話が逸れてしましましたが、この映画は”祈り”というあり方を家庭の中にフォーカスして表した映画です。
映画としてはテーマの一貫性に徹していてとてもスッキリする内容になっています。
インパクトとしては”祈り”ということもあり少し薄い気もしますが、とてもドキュメンター風にできていて私は感動できました。
外国の子役は演技が上手ですね。
あと、海外の映画だと日本以上に表現が豊かで見ていてわかりやすいなといつも思います。
仲間
久々に"仲間"という言葉が頭に浮かびました。
少し、そのエピソードを綴ります。
社会人2年目 24歳 冬 クリスマスでバンドライブしました。
今まで、ちょっとしたイベントで歌ったり、ギターを弾いたりすることはあったけれども、今回はライブハウスでやるというなんか"本気"な場でやりました。
メンバー集め、選曲、作曲、練習、意見交換
自分は太鼓をやっていて全体で一つのことをやる事は今でもあります。
しかし、社会人になってから自分が中心となってこれらのことをやったのは初めてでした。
意見の相違、スケジュールの不一致、コミニケーション不足
久々にこれらを肌に感じながら3ヶ月間過ごしていきました。
一人であれば悩まなくていいこと、時間をかけなくていいことが沢山ありました。
しかし、時には練習時間を大幅に過ぎて練習したり、議論したりして"良い音楽をしたい"という思いに向かってみんなで一つなっていく時の生産性は一人でやる時では生み出すことのできないものがありました。
最終的には、ほんとにこのメンバーだからこそ作れた音楽ができたと思います。
また、このメンバー何か作りたいと思えました。
そんな時"仲間"という言葉が頭に浮かびました。
星の砂
今日は元気がでない一日
食欲がいつもよりはない。
1千キロ離れた実家に住む母は体調が悪かったらいい。
電話も断られた。
小学校の時の大親友とは未だに連絡が取れない。
こんな日に限って電話する人する人からあまりいい話題は帰ってこない。
だんだんと去年のいやなことを思い出す。
大学の友人は突然となくなった。
同い年だった。
ほとんど一緒に学園生活を過ごしていた。
そんな彼はもういないのだ。
自分自身にもいろいろとあった。
サッカー、ギター、初めての仕事、再開したランニングの趣味
いろいろとその間にはさまざまなことがあった。
最近よく思う。
なぜに、生きるということはこんなにも刺激的なんだろう。
あまりの刺激に自分自身ついていけない。
時間をかけて振り返ってみて、何もなかった一年なんてなかった。
何もなかった一か月なんてなかった。
何もなかった一日なんてなかった。
しかし、それを振り返るための日記なんかを僕は読み返すたちじゃないから忘れているふりをしている。
自分は日常を過ごしていてほんとによく思う。
76億人のたった一人の人生ですら、本人や誰も予測できない。
だから、僕以外に何か見えない何か引っ張って目には見えない意思がいるのではないかと思う。
ある人はそれをサムシンググレートといったり神といったりいうのかもしれない。
僕は信じている。
たとえ今日がつらい一日だったとしても、きっと僕を引っ張っているこの延長線上に必ず喜びという星の砂を敷いていあることを。
もしかすると、僕はそれを今踏んでしまって気づいていないだけだと。
さらにもしかすると、人間の目には紫外線が見えないように未熟者の僕にはすぐそばにある星の砂は見えていないだけなのかもしれないと。
きっと、頑張って大人になって、一人前になって、立派な人になって、人の気持ちがわかるような人になったときに僕が進んできた道のそばにあった星の砂を拾い集めることができるかもしれない。
希望を失わないこと。とっても大切なこと。
新しい靴
新しいのがほしいと思った。
お気に入りの靴は確か5000円で買った。
だから、5000円ぐらいでまた気に入った靴と出会いたかった。
大須の友達の家に遊びに行った。
友達が大須は一日中遊べる町だと教えてくれた。
大須観音を過ぎた商店街に友達が僕を連れて行ってくれた。
この日僕は服がほしかった。
僕の兄はとてもセンスがあって僕はそれに比べあまりセンスがなかった。
だから、僕が身に付けている服はいつも兄のお古だった。
そして、僕はそれで納得していた。
しかし、兄のお古も日に日にみすぼらしくなってきた。
そこで服屋さんを探していた。
お店の前に並べている服を見ていて僕の趣味に合う服は見当たらなかった。
そんな時に靴屋さんを見つけた。
ただ、自分が靴がほしいということを思い出させてくれた。
そして、僕が気に入るような靴がすぐに見つかった。
しかし、その日着ていた服に気に入った靴は合っていなかった。
僕はこれは履きこなせないなと思った。
おすすめを訪ねながらまたすぐに気に入った靴を見つけた。
そして、僕の趣味に合うようなものも見つかった。
3年近くお世話になった靴とはやっと別れができる気がした。
ほんとに今までありがとう。
そして、新しい靴との出会いに感謝しよう。
なので早速この連休中に買い物したかったものをリストアップして出かけた。
ほんとにその靴は履けば履くほど気にいった。
しかし、それがまたよかった。
俺はこの靴を履いていると実感させてくれた。
明日からこの新しい靴との生活を考えるととても嬉しい気持ちになった。
そんな一日でした。