星の砂
今日は元気がでない一日
食欲がいつもよりはない。
1千キロ離れた実家に住む母は体調が悪かったらいい。
電話も断られた。
小学校の時の大親友とは未だに連絡が取れない。
こんな日に限って電話する人する人からあまりいい話題は帰ってこない。
だんだんと去年のいやなことを思い出す。
大学の友人は突然となくなった。
同い年だった。
ほとんど一緒に学園生活を過ごしていた。
そんな彼はもういないのだ。
自分自身にもいろいろとあった。
サッカー、ギター、初めての仕事、再開したランニングの趣味
いろいろとその間にはさまざまなことがあった。
最近よく思う。
なぜに、生きるということはこんなにも刺激的なんだろう。
あまりの刺激に自分自身ついていけない。
時間をかけて振り返ってみて、何もなかった一年なんてなかった。
何もなかった一か月なんてなかった。
何もなかった一日なんてなかった。
しかし、それを振り返るための日記なんかを僕は読み返すたちじゃないから忘れているふりをしている。
自分は日常を過ごしていてほんとによく思う。
76億人のたった一人の人生ですら、本人や誰も予測できない。
だから、僕以外に何か見えない何か引っ張って目には見えない意思がいるのではないかと思う。
ある人はそれをサムシンググレートといったり神といったりいうのかもしれない。
僕は信じている。
たとえ今日がつらい一日だったとしても、きっと僕を引っ張っているこの延長線上に必ず喜びという星の砂を敷いていあることを。
もしかすると、僕はそれを今踏んでしまって気づいていないだけだと。
さらにもしかすると、人間の目には紫外線が見えないように未熟者の僕にはすぐそばにある星の砂は見えていないだけなのかもしれないと。
きっと、頑張って大人になって、一人前になって、立派な人になって、人の気持ちがわかるような人になったときに僕が進んできた道のそばにあった星の砂を拾い集めることができるかもしれない。
希望を失わないこと。とっても大切なこと。